2012年8月アーカイブ

相続手続き相談室コラム 75

 

相続手続き相談室 のウェブサイトを運営している、

行政書士、CFP(R)認定者の松本が、

情報提供の一環として、書いているコラムの75回目になる。

 

個別具体性を持つ情報提供になっていないかもしれない。

そう思いつつも、何かを感じ取っていただきたく思い、

書いていくことにした。

 

「ですます」調 ではなく、「である」調 になっているが、

あまり気にせずに、読み進めていただければと思う。

 

本題に入りたい。

 

人間関係が複雑に絡み合う仕事をしていると、

その時その時、いろいろと考えさせられることが多い。

 

下にある例えを、少しだけイメージしていただきたい。

 

《大切にしている家の中を土足で踏み散らかしたあげくに、

 金品を持ち出していくような行為が許されるや否や。》

 

そのような行為を受けた人の側から見れば、

他人と思っている人が行った場合と、

身内と思っている人が行った場合とでは、

感じ方や受け止め方に、おのずと違いが生じることとなる。

この事自体についての異論は少ないと思っている。

 

ここに、信頼関係の有無を修飾語として、付け加えてみたい。

 

信頼している他人が行った場合と、

信頼していない他人が行った場合とにおいて。

そしてまた、

信頼している身内が行った場合と、

信頼していない身内が行った場合とにおいて。

いったい、どのような違いを生じせしめるのか。

 

直感的には、

まず、信頼している身内の行為から許されることになり、

その後、順を追って、信頼している他人の行為が許されて、

信頼していない身内の行為、信頼していない他人の行為と続くように思う。

 

しかし、実務を通じて感じる感覚は、

直感的に感じられるであろう感覚とは異なっている。

 

信頼関係が崩れてしまった時に、

感じることが多い、裏切られたような感覚。

信頼関係のない見知らぬ人が、

手を差し伸べてくれた時に感じる、他人のやさしさ。

 

このような事態に触れた時、

人の心は、否応なしに変化する。

 

一時的にせよ、継続的にせよ、

身内だからこそ、許せないと感じることがあるはず。

他人だからこそ、許してあげようと思うこともあるはず。

 

【身内だから、あたりまえ。】

【他人だから、あたりまえ。】

 

上のような考え方が、もはや、

通じなくなってきているように感じている。

 

人それぞれに、人それぞれの 「あたりまえ」 が存在している。

 

多様性を帯びつつある、

その 「あたりまえ」 についての動向を捉えていきながら、

日々、実務を行っていきたいと考えているところである。

 

最後に、

知的資産経営報告書 経営承継プラン作成 というウェブサイトも、

このウェブサイトの他にも運営している、

ご相談依頼や書面の作成依頼を承るための専門サイト、

相続手続き相談 大阪室 においても言えることであるが、

未だ、現在においても、

新規の業務依頼の受付を見合わせている事。

加えて、新規依頼の受付再開期日が未定である事。

どうか、ご容赦願いたい。

 

 

 

当該ウェブサイトの運営管理責任者として、コラムをここに記す。

 

 

 

 

    

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